小篠塚城と中世の佐倉 1

はじめに

JR佐倉駅を背にして南下する一本道があります。どんどんいくと佐倉南図書館があって、その先をさらにずんずんいくと東関道を超えて道幅は突然狭くなります。
その、東関道を越えたあたり一帯を「大篠塚」といい、中世にはどうやら小さなお城だか砦だかがあったようです。今は、道路に沿って畑が広がり、その向こうは雑木林になっていて、砦があった当時を思わせるものは何もありません。
さて、本日の話題は「小篠塚城」です。大篠塚を横切って、細い坂道をくねくねと国道51号線方面に降り切ってしばらくいくと、左手にみえてきます。
舌状台地で、平地から台地の頂上までの比高差は、だいたい20mくらいでしょうか。
51号線のほうから北上すると大きな看板があるのですぐにわかるのですが、JR佐倉方面から南下するルートの場合、案内板がどこにあるかわかりずらいという難点があります。とにかく細い道を左に曲がると、乗用車7、8台は停められそうな駐車場がありますので、ご安心ください。

さて、この小篠塚城跡、しっかり整備されていて、土塁や郭などもほぼ完全な形で残っており、とても見応えがあります。
現在、「小篠塚城址をきれいにする会」という任意団体によって管理されているようで、サイトもできておりますのでリンクをはっておきます(こちら、公式サイト)。

実は私、2013年にこの土地を管理されているお寺の住職の方に取材させていただいたことがあります。
以前は単なる雑木林に成り果てていたこの場所を整備して、1周4km程度の遊歩道も作られるなど、実に精力的に活動しておられます。

今回は、まずこの小篠塚城の沿革を簡単に紹介した後、この城が関東の歴史の大舞台にたつある出来事を、何回かの続き物の体裁で皆さんにご紹介いたします。

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