小篠塚城と中世の佐倉 3

小篠塚城の歴史 後編

前編の続きです。

前編で、足利成氏と千葉孝胤のいざこざについて書きました。で、そのときに足利成氏がいた場所が、小篠塚城だったのではないか、という説の論拠も書きました。

その騒動の結果、成氏は孝胤の言葉を聞き入れ、千葉の正式な跡目は千葉孝胤率いる馬加系千葉家がよろしかろう、という裁断をくだす。それを聞いた実胤は、落胆して出奔し、その後歴史の表舞台にたつことはありませんでした。

さて、そんな騒動があった1472年が過ぎ、そこからしばらくは小篠塚城の歴史はいったん闇に沈みます。ここから30年間、誰がここの城主だったのかはわからない。

もし、本当に足利成氏が一時にせよここにいたのだとすれば、彼の息のかかった人物が居城にしていた可能性もありますし、いやしくも公方様が動座した城ならば城主をおかず、管理だけして『空城』状態のままだった、なんてこともあったかもしれません。次にこの城が歴史に登場するのは、またしても古河公方がらみの騒動のタイミングでした。

公式サイトには、

『1502年:2代・3代古河公方足利政氏・基氏父子千葉氏討伐のため約3年間小篠塚城に動座』とあります。

千葉氏討伐のため、政氏、基氏父子が動座、とは剣呑なはなしです。千葉氏にとってみれば、大事件といわざるを得ない事態だったことでしょう。
しかし、このいきさつは、どうも今ひとつわからないようです。
山内上杉顕定から政氏奉公衆「二階堂左衛門尉」への書状には、この古河公方vs千葉の原因を、古河公方足利政氏から千葉孝胤に下した命令に対して、孝胤が無視を決め込んだことである、という趣旨の内容が書かれているそうです。
(参考:サイト「千葉一族」)
とにかく、何らかの原因により、千葉と古河公方は佐倉の地で約3年近く睨み合うことになります。本格的な戦闘はなかったのかもしれませんが、馬を飛ばせば半日もかからずに到着する城同士が戦闘態勢を整えているわけですから、地元の農民の方たちは心が休まらなかったでしょうね。まったく、なんて時代でしょう。
先の参考サイト(参考:サイト「千葉一族」)を読むと、このとき、政氏と孝胤との間では、六崎のあたりで交渉事がなされたそうです。内容はといえば、孝胤の子供に、政氏の名前の一文字を使って名づけよ、という偏諱の要請を政氏がしたのに対して、孝胤がつっぱねる、という「ツンデレ合戦」だったようです。
喧嘩の原因も、交渉の内容も「そんなことかよ!」とツッコミを入れたくなります。
現在とは常識が違う時代なのであまり断定的なことは言えませんが、彼らとほぼ同時代には織田信長も生まれているわけで、もう少しなんとかならなかったのか、と思わないではありません。
いずれにしても、1504年には政氏親子は無事古河に戻っておりますので、千葉氏と足利との間では大きな戦にはならなかったのだと思われます。
この後の小篠塚城がどうなったのかを知ることができる文献は、残念ながら見つけることができませんでした。
もしかすると「こんな城あるから古河公方が来ちまうんだよ」ということで千葉氏主導で廃城(もしくは有力部下の館に格下げ)してしまった可能性もあるかもしれません。なぜならば、この当時すでに小篠塚城からほど近い弥富の地に、原氏が岩富城を作って入っておりましたので、軍事的、政治的にも小篠塚城の役割が終わったと考えても不思議はないわけです。それらについては、推論の域を出ない話ではありますが。

まとめると、小篠塚城の役割は、良くも悪くも千葉氏と古河公方の関係を取り持つよすがとしてあった、という気がします。
馬加系千葉氏にしてみれば、本宗家を襲って勝ち取った権威ですからどうしても「さらに大きな権威」の裏付けがなければ、下総の地を治める大義名分がたたない。そんなわけで、古河公方の後ろ盾はお家存続の絶対必要条件でした。
一方古河公方側としても、やれ堀越公方だの小弓公方だのと、関東ナンバーワンを狙う足利一門との対抗上、世俗の権力、つまり戦国武将たちの後押しが必要だった。そんな意味で、スネに傷をもつ千葉一族は、便利な存在であったともいえます。
そんな「もたれあい」の関係が、はたして両家にとってプラスだったのだろうか、なんてことを考えながら、とにもかくにもその両家をつないだ小篠塚城が果たした役割を思いつつ、筆をおきたいと思います。

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    梅原正貴 (火曜日, 24 3月 2015 00:46)

    小篠塚城のハイライトシーンが分かりやすく纏められていて、興味深く拝読いたしました。小篠塚城は整備が行き届いており、何度でも訪ねたくなる夕景色の綺麗な名城ですね。古河公方との縁あることや馬加系千葉氏が全盛を迎えようとしている時代のお城ということを思うともっともっと人に知って貰いたいですね。

  • #2

    こもん (金曜日, 26 6月 2015 09:01)

    コメントありがとうございます。お返事できていなくて申し訳ございませんでした。
    実は本年8月、このあたりについて根郷公民館さんで講演を行う予定です。もしご都合があえばぜひいらしてください。