宗圓寺と明治の烈士・戸村芳蔵について 1

吉川英治の母「いく」の実家の菩提寺である嶺南寺の真向かいに、臨済宗のお寺である正覺山宗圓寺がありました。このお寺は、幕末から明治にかけて活躍した蘭医、佐藤泰然の菩提寺として有名です。
建立は17世紀中期。嶺南寺と同様、堀田正盛公が松本から佐倉へ転封された時代に建立されたようです。私が境内にあった石碑などを眺めていると、墓地の管理事務所にいた女性が親切にも寺の縁起が書かれたA4の書類をもってきてくださいました。ここには、相当しっかりと宗圓寺の成り立ちなどが書かれておりますが、サイトに掲載するのは著作者の許可を得ていないので今回は控えます。檀家総代の方、もしくは住職さんに、機会があれば許可をとりたいと思っております。
さて、宗圓寺といえば、やはり佐倉市の誇る蘭医である佐藤泰然を思い浮かべられる方が多いかと思いますが、今回とりあげさせていただくのは別の人物です。
私も、まったく存じ上げませんでした。千葉県警巡査部長の戸村芳蔵。西南戦争に従軍し、後に佐倉市で猛威をふるった天然痘を食い止めんと検疫、消毒の処理にあたり、ついに自らも罹患して殉職した烈士です。
生まれは今の山武市ですので菩提寺はそちらにあるそうですが、佐倉の人々が彼の功績をたたえ碑を建てたそうです。
そのあたりの経緯については、下の看板の写真にありますので、ぜひ読んでみてください。※写真、クリックすると大きく表示されます。

この人物を調べるうち、私が驚いたのは

  • 西南戦争の経緯を克明に記した「通俗絵本鹿児島軍記」に戸村氏が大きく扱われていること
  • 天然痘が、明治時代に佐倉に猛威を振るったという事実

でした。確かに、天然痘といえば漠然と「昔の死病」くらいなイメージしかなかったのですが、恐ろしい病気だったんですよね。我々の衛生的な生活は、そういった先人たちのたゆまぬ努力の上にある、などと説教臭いことを考えつつ、石碑に合掌してまいりました。
さて次回は、その戸村氏が「通俗絵本鹿児島軍記」に、どんな扱いで掲載されているのか、ということを皆さまに紹介いたします。

>>宗圓寺と明治の烈士・戸村芳蔵について 2

コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。