城址公園。歩兵第五十七連隊の便所跡と、当時の軍隊編成

◆はじめに

城址公園を歩いていると、江戸時代の佐倉城ゆかりの建造物から昭和初期の戦争遺跡まで実にいろいろなものに出会います。
今回は、歩兵第五十七連隊当時の「便所跡」について紹介しつつ、昔から漠然と「どうなっていたんだろう」と思っていた第二次世界大戦当時の軍隊編成について書きたいと思います。

◆そもそも「連隊」って何?

佐倉歩兵第五十七連隊。私を含む地元の人たちは、この名前を当たり前のように使います。

また、軍隊のことを書いている小説などを見ると「兵隊さんのまとまり」についてたくさんの呼び方が出てきます。
軍団、師団、旅団、連隊などなど。たとえば「その日、★★島で行われた戦闘にて、我が軍は一個師団がほぼ全滅した」なんて具合です。「ずいぶんたくさん亡くなったんだろうな」とは思うのですが、そもそも師団ってなんだっけ?などと思いながら先を読んでいました。
そこで、いろいろとあたってみたところ、こちらのサイトの図が最もわかりやすかったので引用/再構成させていただきました。

上記のとおり、軍が戦場に展開するさいの単位が「師団」です。師団というまとまりがなければ、通常はなにかの機能が「欠けた」いびつなチームとなってしまうため、戦場へは送り出されなかったようです。しかし、大戦も末期になってくると、送り出せる兵隊さんの数や機能集団そのものが集まらなかったために、このような「きっちりした」師団編成がされないままに戦場へ駆り出されることも多かったとのこと。ちなみに、師団の成員数ですが、規模によりまちまち、というのが正解のようです。ざっくり、1万から3万人くらいだという説明が多いです。
さて、気になる「歩兵連隊」というのはどういった単位かというと、図を見ていただければわかるとおり、師団の中にある二つの歩兵旅団を構成する下部単位であることがわかります。つまり、1つの歩兵旅団は2つの歩兵連隊により構成される、というわけです。
1つの連隊の構成員数はおおむね1,000から3,000人程度で、だいたい各県ごとに設置されたようです。
つまり、千葉県で徴兵された人で「歩兵」に振り分けられたら、およそこの佐倉歩兵五十七連隊に配属され、ここで厳しく練兵された後、1,000から3,000人の単位で戦場に駆り出されていった、ということになるのでしょうか。
ちなみに、私の血縁者の一人もここで訓練を受けた後、1937年に中国へ出兵し、盧溝橋事件で戦死されました。当時はまだ戦死者が少なかったということもあり、千葉県をあげて葬儀が執り行われたという話を聞いております。その後、二次大戦が泥沼化し、太平洋戦争が勃発して以降は、戦死者の発生は日常化していくことになります。

◆五十七連隊の兵舎のその後

1945年8月、日本は敗戦の日を迎えました。その後、日本の軍隊は解散し、佐倉五十七連隊も軍事施設としての苛烈な役割を終え、建物だけが残りました。
私の母は、佐倉市で終戦を迎えております。そして、戦後の厳しい時代を生き抜きました。
その母が中学生だったころ、なんと中学校の校舎として、兵舎の施設を利用していたそうです。
薄暗い校舎に寄り添うように建つ便所の話は、子供の頃母から何度も聞かされました。
「兵舎のお便所だったから、とにかくたくさんあってね。あんまり奥まで続いていたから、全部は使わずに途中から仕切られていたんだよ」
ただでさえ暗い便所の奥、その仕切の先の闇は本当に深く怖かったと言っていました。

母が使っていた便所がどこにあったのかはわかりませんが、この便所もそんな「暗く深い闇をたたえた便所」だったことでしょう。昔のこの地は、今のように整備された明るい場所ではありませんでしたから。私も、病院として使われていたころのこのあたりを薄らぼんやりと覚えています。
今、晴れた日にこの場所を訪れると、なんというか、「木漏れ日の中穏やかな時間が流れている便所跡」という印象をもちます。連隊という暗い過去は、とりあえず遠くに置いてきた風情さえたたえています。
しかしながら、こういう日常的な生活の営みに利用されていたものに出会ったときのほうが、私はなぜか戦争で死んでいった方たちの存在を身近に感じるのです。当時の銃や、千本針や赤紙といった「戦争遺物」にももちろん心を動かされますが、こういう「戦争の中の日常使い遺物」をじっとみていると、兵隊さんたちの肩の抜けた冗談の言い合いや笑い声が聞こえてくるような気がして、静かな気持ちになるのです。

この便所の奥に、大人二人でようやく手を渡せるほどの欅(けやき)の大木が生えていました。便所の床から突き抜けていたわけでもないでしょうから、戦後この場が廃墟となって以降に芽吹いた欅のはずです。
戦争は、ずいぶん遠い昔になったのだと改めて思いました。この欅が、この先もずっとこの地で生きていける日本であってほしいと、心から思います。

欅の大木
60年程度で、こんなに太くなるのですね。
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