海隣寺と佐倉の千葉一族 3

海隣寺の入り口。市役所から坂をちょっと上ったところに、青地に白抜きの看板が出ています。
海隣寺の入り口。市役所から坂をちょっと上ったところに、青地に白抜きの看板が出ています。
奥まったところにあるのが海隣寺です。参道の両脇には民家が並んでいます。
奥まったところにあるのが海隣寺です。参道の両脇には民家が並んでいます。
右手に見えるのが市役所の建物です。
右手に見えるのが市役所の建物です。
正面写真。
正面写真。
なんと、この山号寺号の書かれた木札は、どういういきさつか「第三十六代 総理大臣 平沼騏一郎」の揮毫でした。これは、すごいことです。すごい人物すぎて、私には書くことができません。興味のある方は、ウィキペディアなどでどうぞ。
なんと、この山号寺号の書かれた木札は、どういういきさつか「第三十六代 総理大臣 平沼騏一郎」の揮毫でした。これは、すごいことです。すごい人物すぎて、私には書くことができません。興味のある方は、ウィキペディアなどでどうぞ。
平沼氏、書。
平沼氏、書。
寺の本堂にかかる額。やはり、平沼氏の手による書。達筆。質実剛健。迷いなし。といった風情です
寺の本堂にかかる額。やはり、平沼氏の手による書。達筆。質実剛健。迷いなし。といった風情です
千葉氏の変わり家紋が天水よけに使われています。
千葉氏の変わり家紋が天水よけに使われています。
海隣寺の縁起が書かれた掲示板。
海隣寺の縁起が書かれた掲示板。
境内の中にある墓地横の小道。この先小さな出口を右に曲がってちょっとあるくと、慰霊塔群が見えてきます。この日は、とにかく桜がきれいでした。
境内の中にある墓地横の小道。この先小さな出口を右に曲がってちょっとあるくと、慰霊塔群が見えてきます。この日は、とにかく桜がきれいでした。
境内の中にあった熊野神社。小さなお堂です。
境内の中にあった熊野神社。小さなお堂です。
市役所の中の掲示板。このあたりに、縄文→弥生→古墳時代→奈良・平安期の住居跡があったとか。時代ごとにまんべんなく人がいたということです。住みやすかったんでしょうね。
市役所の中の掲示板。このあたりに、縄文→弥生→古墳時代→奈良・平安期の住居跡があったとか。時代ごとにまんべんなく人がいたということです。住みやすかったんでしょうね。
いよいよ「海隣寺千葉家供養塔」です。
いよいよ「海隣寺千葉家供養塔」です。

とてもすごいのでたくさん写真をとってしまいました。2014年春のスナップショットにも、おそらく何らかの意味があるだろうということで、とった写真全部のせておきます。ご興味があれば下の写真をクリックし、大きな写真をご確認ください。

それから、案内文が書かれた柱にあった文章を引用しておきます。今、現地でみても、ほとんど読めません。インクが日焼けして白く濁って、背景の白さと同化しちゃってるんですね。

【以下引用文】

海隣寺千葉家供養塔

千葉山海隣寺はもともと千葉氏の菩提寺として千葉郡馬加(現千葉市幕張)に創建され、現在する(ママ)一九基のうち六基は千葉氏一族の昌胤・利胤・親胤・胤富・邦胤・重胤のものと伝えられている。

【以上引用文】

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