佐倉城址公園。佐倉城→佐倉連隊→現在をつなぐ「夫婦モッコク」1

■はじめに

歴博の南側にひろがる佐倉城址公園。この地は、江戸時代の初期から第二次世界大戦の終了まで、日本の戦略をささえる要衝地でありつづけました。
古くは、代々江戸幕府の幕閣が居城とし、明治以降は二つの大きな大戦を戦い抜く連隊の練兵所として。
注意して歩くと、それらの歴史が浮かび上がってくるような遺構をたくさん見つけることができます。また、昨今では佐倉市や歴博の努力により、少しずつ説明用看板の整理もすすみ、それらの遺構について多角的な理解ができるようになってきました。
特に、当時を偲ばせる写真や図版や古地図が説明文とあわせて確認できる看板は、とてもありがたいですね。私を含む専門家ではない来園者からすると、やはりそういうビジュアルが理解を深めるためには不可欠です。人間が創造した建造物は、時代を経れば当然にその場になくなってしまうものなので、そのモノズバリを見ることはできないわけですから。
そんな意味で、長い時間その場に生き続けた樹木というのは、その気になって見れば一瞬で私たちを「当時」にタイムスリップさせてくれる貴重な存在です。

■夫婦モッコクのなりたち

今回とりあげるのは、昭和27年に千葉県の天然記念物として指定された「夫婦モッコク」です。場所としては、佐倉城の本丸跡を正面にみて右手にあります。
二つのモッコクの大木が寄り添うように立っていることからこの名が付きました。県と市の教育委員会が建てた説明用看板によると、樹高11.6メートル、目通り幹囲2.6メートルで、モッコクとしては巨木だそうです。見上げるともう少し高いような気がしますが、この看板が建てられたのが昭和57年ですから、さもありなんというところです。
説明用看板はさらにこう続けます。
<以下、看板抜粋文>
佐倉城の築城については、「土井利勝が慶長十六年(1611)から元和三年(1617)まで7年をかけて完成し規模こそ小さくとも本丸等に種々の庭木を植え雄大な風格を示した」との伝えがある。
このモッコクは庭樹の一つであったと考えられている。佐倉市松林寺境内にも巨木が所在する。
昭和五十七年二月十一日
<以上、看板抜粋文>
この看板の文では、このモックコが土井利勝築城当時の庭木であった可能性を示唆しているようにも読めます。そうなると、樹齢400年?神に近いですね。
ちなみに、松林寺の古木については、かつて私が書いた記事に写真が掲出されてますので、興味のある方はこちらを確認ください。